まだまだ2014年。。神の導きはイスラエルからアルゼンチンへ
2014年の4月のイスラエルが過ぎ越しの祭りの時で主の十字架と墓の葬り、三日目の復活の日の朝の全てをイスラエルで生活して過ごしたという素晴らしい神さまのプレゼントだったため、これで2014年は終わり!という感じだったのですが、
実はイスラエルから戻ってきてからの私にはいろいろな出来事があったらしい。。
今回2015年のイスラエル行きを書こうとしていてちょっとだけ日記を読み返してみました。ここ数年はイスラエルにいる時にはメモ書きはしてきているのですが、それをまとめるのがなかなかできない。。なので、、ここ数年はもう日記のようなものは存在しないのですが、この頃はちゃんと時間を追って出来事を書き留めてます。最近(2021年4月)になって過去を振り返るという今更のようなブログを書き始めると自分が書き留めていた日記やレポートがあるのがとても役立っています。
で、見直してみてまだまだ2014年とのこと書かないと。。いうことになりました。
どうやら2013年8月に設立したNPO法人には少しだけ問題がありました。当時、私は代表ではなくてあえて副代表という立場を取りました。それは人間関係に留意してのことでしたが、これは神さまの心に沿っていなかったようでした。ので、すぐに様々な問題点が出てきました。実のところ、なってはいけない人がなっていたということだったのでしょうが、このことを修正するために大きく傷つきました。自分の甘さもありましたが、初めから曖昧な姿勢だったのがよくなかったのでしょう。でも、これは自分の持つ弱点で、以後、いろいろと決断できない自分にぶつかります。私っていい顔しいなんですね、結局。。人によく思ってもらいたいためにはっきりと物事を言わない性格。それが良くも悪くも人間関係に現れます。このことを神さまはきっと取り扱ってくださっているかと思いますが、まだまだ開発途上の私です。
で、この2014年、本当は仮庵の祭りの時にイスラエルに行きたいと思っていた私に突然のようにアルゼンチン行きが示されました。なぜ、私がアルゼンチンに行くのだろう?とこの時は思ってもわかりませんでした。でも、ユダヤ人のいるところには神が行けと言われるのだと後になってからわかります。
「一緒にアルゼンチンに行ってお琴を弾こうよ」と友人から声をかけられ、知り合ったばかりの元外交官付きの医務官であった恒例のドクターが支援しているアルゼンチンの日本人教会で琴を弾くことにあれよあれよと言う間に決まりました。迷っていた私に仮庵の祭りにはイスラエルに行くことができないと言う事情ができたんだと友人が言ってました。
アルゼンチンで神の働きをされている牧師先生がこんな素敵なチラシを作ってくださっていました。
初日はこんな感じでしたが、その後はブエノスアイレスだけではなく、地方巡業もしました。そして一番嬉しかったのは日系1世の方々が暮らしている施設での演奏でした。
「慰めよ慰めよ」と神が言われていると思った瞬間です。
日本の曲も歌いました。笑顔で歌われている姿に涙してしまいました。みなさん、お元気で!!
あっという間の滞在で教会でも演奏し、ブエノスアイレス観光もさせていただき、美味しいお肉料理を食べ、タンゴまで見て、本当に感謝なアルゼンチン琴巡業(あえて)でしたが、一番の感動はこの国にもイスラエルの人たちが住んでいた事でした。
市内観光の際に発見したシナゴーグ。特別に中を見学させていただきました。
素晴らしい会堂で、中にはイスラエルの品々も展示されていてこんな可愛い?男性とツーショット。
会堂で琴が弾けたら!と思って管理人のような男性に聞いたら月に数回コンサートを行っていて「よかったら来週ぜひ!」と言われました。でも、残念その週はもう日本へ。では必ずここで演奏してくださいと言われましたが、7年経った今もまだお約束果たせていません。。
いつかまたこの遠い国へ行くことがあるでしょうか?
最後にアルゼンチンといえばタンゴ!これも夜遅くではありましたが、見ることができました。
本場のタンゴ、また見たいなあ。
突然のアルゼンチンでしたが、これも神さまのご計画だったと信じています。なぜならシナゴーグでは琴は弾けませんでしたが、愛するイスラエルの方々の住んでいる場所でしたから。
次はいよいよまたイスラエルに戻りますが、イスラエルと関係が繋がった東日本大震災の地、南三陸やサハリンへ、さらにドイツへも向かいます。
神様は思いもかけない場所へ連れて行ってくれるのでした。
今日も寒い札幌です。。(2021年4月9日)
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