2019年のイスラエル3

 タイトルは2019年のイスラエルですが、今日はちょっと最近の出来事と思いを。

今年1月から急に体調不良になってしまった義父。2月後半に入院し、もう1人暮らしは難しいと担当の先生に言われて3月には療養型の病院に転院するはずでした。ところがその転院先の病院でコロナ発生。転院を待つうちに今度は入院先の病院でコロナ発生。義父はコロナに感染しなかったものの濃厚接触者扱いで隔離病棟に移されました。元来明るい義父で入院すると看護師さんたちと楽しく話して見舞いに行くと廊下にまで笑い声が聞こえてくる人でした。今回もなかなか歩けなくなっていてもリハビリの若い先生と楽しそうにしていたのでした。それが4月になって肺炎。。もともと肺が弱くて酸素吸入器の外せなかった義父。あっという間にドラマで見るような口にマスク?のようなものを当て、点滴だけで過ごすことになってしまいました。もうお話しすることができないね。。口からは何も食べることができない。。もっと早くに核酸ドリンク飲ませてあげたかったねと後悔することがたくさん出てきました。

1人暮らしができないと先生に言われた時から住んでいたアパートは片付け始めていていろんな手配もやり始めていた私たち。1人暮らしだった93歳の義父は物持ちでタンスはなんと5個もありました。そのほかにもたくさんのものがあって勿体無いなどとは言っておられず、ただただ捨てる日々でした。いよいよアパートの部屋を引き渡すと言うその日の朝早く、病院から危篤の電話。準備していた数分後には亡くなったという電話。病院に駆けつけて兄弟たちにも連絡し、あっという間のお別れの時となりました。お葬式のことなど何にも考えていなかった私たちでしたが、義父が住むアパートの近くに斎場があるのに気づいた夫が「ちょっと聞いてくるね」と言ったのは数日前でした。「いつになるかはわかりませんがその時はお願いします」と言ったばかりのその次の日にまさか病院に迎えに来てもらうとは思いもしませんでした。でも、直葬という割にはきちんとしたまるで家族葬のようなお別れ会ができたのでした。なんだか全てが憐れみ深い神さまの御手の中で行われていったかのような3ヶ月でした。

こんなことを書いている今日は義父が天に召されてから1ヶ月になろうとしています。義父は私たちが教会で行なった銀婚式で救われて受洗。数年間を教会の仲間たちと楽しく過ごしました。今頃はすでに天にいる私の父(この父も同じく教会で救われて数年後に召されたのです)とも会って楽しく話しているのではないでしょうか。

それにしても義父の持ち物を整理していて改めて自分のことも思い、これからは自分たちの家の整理だねと夫と話しているところです。どんなものも天国に持っていくことはできないし、残された者に大きな迷惑をかける。。捨てられないと思っていたものにしがみつかないで整理しよう!

コロナ禍でイスラエルに行けないこの時に亡くなった義父。もしもイスラエルに行っていたら大変なことになっていたな〜と思ったりもします。なぜってこの3月はイスラエルに滞在することが多いんです。

何もかも神のタイミング。ご支配される神。実感しながらの今年です。これからもきっと恵みと憐れみの中で過ごしていくんでしょうね。

委ねつつ、日々を自分のすることと神がしてくださることの中で過ごす私たちです。


イスラエルでこんな風に琴を持って演奏するのはいつになるのでしょうか。
全ては神に委ねて。

今日はこの辺で。次は2019年のイスラエルに戻りたいと思っています。


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