2011年11月はイスラエルでボランティアへ

 この年、3月にイスラエルへ行き、そこでイスラエルとパレスチナの現実について学び、イスラエルで琴巡業を始める準備が出来上がったように思いました。

さらに、東日本大震災があり、イスラエルでも「日本のことを祈っている」と多くの方々から声をかけられ、帰国した時には大変な現実を知ることになりました。私にとっての大きな出来事はイスラエルの医療ーチームがいち早く南三陸に救援隊としてきてくれていたこと。いつか私もこの東日本大震災の地を訪れ、琴の音色をお届けしたいと思ったのでした。

そンな中イスラエルでボランティアをする事が決定しました。英語力に不安はあったものの少しだけですが、英会話の訓練?もし、初めてのイスラエルひとり旅に向けて準備を始めました。ボランティア先のBFPからは出来るだけ明るいうちにイスラエルに着く便で来るようにと言われましたが、行程的に札幌から無理なくイスラエルに行くにはコーリアンエアーが一番でした。でも、この便は夜到着。。ここから心配性の私は不安だらけになっていきました。夜に着くとすぐにBFPの本部には行けず、どこかのホテルに1泊する事、ベン・グリオン空港から多分シェルートとかいう乗合タクシーでエルサレムまで行く事、などなど。。なぜ、イスラエルでボランティアすることになったのだろう??と悔やむ心でいっぱいになり始めました。そんな私にまたもや神さまの哀れみが届きました。イスラエルで会ったよしえさんからのメール。「友人として空港まで迎えに行きます」スタッフとしては無理だけれど友人として!弱虫の私はこのメールにすがりつきました。

そして11月1日早朝、札幌から韓国経由でイスラエルへ向かったのでした。たくさんの祈りが積まれていたことと思います。なにせ、ひとり旅ですから。。

約3週間の滞在でしたから結構な荷物だったように思いますが、この荷物の中にもしかしたら神さまは琴を弾くチャンスを与えてくださるかもしれないという思いがあり、琴を弾く爪、楽譜、チューナーというまるで三種の神器のようなこの3つをバッグの中に入れたのでした。この3つさえあれば琴を弾くことができるのです。何と言っても琴はイスラエルにあるのですから。。



神さまにはとにかわがままなことをお願いしながらの旅でしたが、そのうちの一つ。「誰か一緒にイスラエルまで行く日本人が同じ飛行機に乗っていますように」札幌から韓国までは一人でしたが、韓国に着き、ターミナルビルのイスラエル搭乗場所で日本の人いないかな〜とソワソワする私の目に入ったのがこのご婦人たちでした。恐る恐る聞くと観光でイスラエルに行くとのこと。しかも同じ飛行機!これでもうすっかり安心して一緒に入国することにしてしまいました。

夜の9時に空港に着き、入国審査。この写真の通路を抜けると長蛇の列が待っていました。韓国で出会った方達と一緒に審査の列に並び、ドキドキしながらパスポートを出して、、何も聞かれませんように。。何か聞かれたように思いますが、無事パスして荷物を受け取り待合の場所に行くと
そこにはよしえさんが迎えにきてくれていました。
即エルサレムへ。と言っても乗合タクシーですからいろいろなところに立ち寄りながらよしえさんのアパートに着いたのは本当に夜中だったかと思います。


こうしてたくさんの助けの中、いよいよイスラエルでのボランティアが始まりました。
果たして琴と再会できるのか?琴を弾くことができるのか?そんなことは考える余地もなく、とにかく一人でイスラエルでやっていくことにまだまだ不安いっぱいの私の旅は時始まったばかりです。不安いっぱいの私を神さまは責任を持って私を守ってくださるのでした。



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