始まり
数年前からなぜ、イスラエルに行き、琴を弾いているのか?ということについてまとめてみようか?という思いがあってエッセイにしてみようと何度か書き始めたものの、一向に進みません。でも、昨年NPO法人の活動を終え、そろそろこの琴を弾くということについてちゃんとまとめよう、と思い立ち、今日からブログの形にしてみることにしました。ちゃんと諦めずに続けていけるかわかりませんが、取りあえず始めてみます。
「一緒に働こう!」そう声をかけられたと思ったのです。とても素敵な笑顔で振り向きざまに。今も目に浮かびますが、黄金色に実った大きな麦畑で手を差し伸べられてその手を握り返しました。何をどう働くのかなど全く考えもせず、でも、手を握り返したらその働きは始まっていた。これが始まり。
琴との出会いは短大時代。部活のオリエンテーションが始まっていて友人が行ってみると言った箏曲部についていき、その音色に惹かれ、さらに琴を購入しなくても部活で練習すれば良いだけと言われて即入部したのでした。大抵の琴を弾く人たちは6歳頃からだというのでかなり遅咲きの私でした。でも、弾き始めると虜になり、母にねだって琴を購入、名のある先生に教わり始めます。とにかく琴の音色に魅了されて演奏家の弾く曲を手当たり次第に弾くという日々でした。母は高いものを買ったのでいっぱしの者になりなさいと言ったようですが、そのためでなく、とにかく弾き続けていたかったので名取の試験を受け、弟子を取る先生となったのでした。数年はいわゆる師匠としての活動をこなしましたが、いつの頃からか、演奏活動だけをするようになりました。どうしてこうなっていったのか?親師匠からの様々な手ほどきを受け、コンクールや放送番組に出演していく中で人前で弾く訓練のようなものが少しずつ出来上がっていったのかもしれません。そして何よりも幼い頃に「あなただけが私の神です」と告白したイエスのもとに戻った事でようやくこの方が声をかけてくださったのでした。当時一緒に琴を弾いていた女性と琴の演奏で弱い人たちのところに出ていき、琴の音色で癒しと慰めを届けたい、そう思い始めたのでした。お年寄りや児童の施設、病院、刑務所などで演奏し、証をし始めました。私たちにとっては福音を届けるという気持ちが強く、宗教活動と受け取られることもしばしばでしたが、それは苦痛ではありませんでした。
ところが数年活動を続けていくうちに一緒に演奏する女性との間に亀裂が生じていきました。何がという事ではなく、志が違う、立ち位置が違うという事だったかと今にして思うと神がそれぞれの召しをはっきりと分けられたのかもしれません。「もうこの活動はしたくありません、私から琴を取ってください」と祈った時、「琴はあなたにとって何か?」と聞かれ、「賛美です」と答えると「では続けなさい」と返事がきて苦しくても続ける決意をし、しばらくはその女性との活動をし続けました。そして突然主は私の進む道を開かれました。私の方からではなく、その女性の方から去っていったのでした。と同時に新しい道が始まりました。
そして2006年春の大阪。
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