随分と意欲的で行動的な年でした。今では考えられないかもしれませんね。
で、2013年。どうも1月にイスラエルに行こうと画策していたようですが、思いだけではどうにもならないことがはっきりとします。この年はちゃんと日本にいてやるべきことをやるんだよと言う神さまの計画が次々と起こっていきました。
1月のイスラエル行きがダメになって落ち込んでいた私に神さまからの突然プレゼントが届きます。2011年3月に一緒にイスラエルに行った方から連絡。「東京に住むイスラエル人の双子の甥御さんがイスラエルで兵役を終え、日本に来るが、札幌の雪祭りを見たいと言っています。どこか1泊でいいので泊まる場所を提供してくれませんか?」とのことでした。当時も今も我が家にはお泊めさせていただける部屋はなく。。思い切ってこの時は一緒にNPOを始めようと親しくしていた方に泊めさせてもらえないか?とお願いしたのでした。
よく会えたなあと思えた出会い。
札幌駅に〇〇時に着きます。よろしく!だけで駅で待ち合わせ。来たのは4人でした。
お腹が空いたと言う彼らにマックは大丈夫?コシェルは?
いろいろと考え、何とか通じた思い。無事にマックでお食事したのでした。
知人宅に泊まることになった彼らは雪祭り会場へ。
運悪くちょっと雪が降ってましたが。楽しんでくれたようです。
これが2月の出来事。
その後、いろいろなことが怒涛のように起きていく2013年です。
彼らが札幌に来てお世話になったのだからと言ってくださり、7月に行くイスラエルでは彼らのお母さん(シリーさん。クネセットで働くキャリアウーマン)のお宅でコンサートをさせていただくことが決まりました。ちなみにこのイスラエル旅行は「荒野の遠征隊」と言う特別なツアー。韓国のキム監督が重荷を持ってたくさんの日本人若者たちを率いて韓国の方達と一緒に学びながら旅するツアーでしたが、このツアーの通訳者が親しくさせていただいていた石狩に住むキム牧師でその関わりからの旅でした。
そして、このイスラエル行き前にこれも不思議な出来事。東日本大震災の地訪問が待っていました。2011年3月のイスラエル行きが東日本大震災から1週間後のことで随分イスラエルの方から励ましを頂いて帰国。その後、イスラエルの医療団が南三陸に入ったことを知り、いつかこの地で琴の音色を!と思い続けていました。イスラエルと深いつながりがあるこの地で神さまから「慰めよ、慰めよ我が民を」と言う言葉を頂いていた私は琴の音色をお届けすることに確信を持ち、祈っていたのです。
当時、あるクリスチャンの執り成しの祈りのグループに入っていた私はこのグループで被災地に向かい執り成しの祈りをしたいが一緒に行きたいたと思っている人はいないか?とリーダーが言った時には迷わずに手を挙げたのでした。でも、すぐに南三陸で琴を弾いてもいいか?とはなかなか言い出せない私でした。祈りに琴が必要なのか?琴はどうやって持っていくのか?などいつもの心配性が心を占めていました。
そんな中、実は神さまがこの訪問をこれからの被災地訪問の始めとなることを決めておられた印のような出来事がありました。それはこの先ずーっと被災地での琴の働きを助けてくださることになる仙台市に住む中澤 竜生先生が北海道出身でこの頃、北海道を訪ねてきていたのでした。懇意になった私は臆せず、彼に琴の演奏のことを聞き、琴を彼の住むところに送ることなども決まったのでした。もちろん、この時にはリーダーから南三陸での琴の演奏について了承を受けていました。これが被災地訪問の始まり。
琴の音色を届ける活動は2019年まで7回続くのでした。
南三陸にイスラエルからの医療団が来たことを記念したダビデの星の中の日の丸の記念碑。
南三陸志津川の仮設住宅に住む被災者の方々と一緒に。
「黄金のエルサレム」を演奏し、号泣された男性。「毎年、この地を訪れよう!」そう心に決めた時でした。
被災地から戻るとさらに次々とやることが!
NPO法人シャロームの設立に向けて様々な書類を作成し、札幌市に提出しながら7月のイスラエル行きの準備。荒野の遠征隊はどこにいくのかがほとんどわからないミステリーツアー。面白いツアーです。祈りと賛美のツアーで、キム監督が示されたところへ行く。でも、私はイスラエルでの夜をシリーさんのお宅でのミニライブ(ガーデンコンサート)も決めていて当時はスカイプでイスラエルと東京と札幌の3ヶ所を結んでコンサートの打ち合わせもしました。頼みの綱はまたしても友人よしえさんです。イスラエルに置いてきている琴の運搬からシリーさんのお宅への送迎まで本当に負んぶに抱っこの私。もはやと言うかすでに彼女なしのイスラエル琴巡業はありえなくなっています。神が二人を合わせて結びあわせたと言えますね。
若者いっぱいの荒野の遠征隊。
この中にはこれからイスラエルで働いていいく若き牧師たちもいます。
夜のストリート賛美!さすが若者たちって感じです。
ここでいつかストリート琴もやりたいねとよしえさんと言い合ったものです。
ミステリーな割にはメジャーなところも廻ったこの荒野の遠征隊。他のツアーと違うのは観光はそこそこにしてホテルに戻ったらまずプール。そして夜の集会。朝は必ずみんなでデボーション。それが連日続くのでした。
私の大きな目的の1つ、ガーデンコンサート。よしえさんが祈りの塔から琴を持ってきてくれてホテルで待ち合わせし、シリーさんのお宅へ。
早めについてコンサートの準備。シリーさんが用意してくださっていたお食事が素晴らしくて今も忘れられません。
もちろん、コンサートもたくさんの方をご招待してくださっていました。ただ一度札幌で息子さんたちを泊めたそのことだけでのこの素晴らしい計らい。イスラエル人の素晴らしい特性を思います。
初めて会ったシリーさんは本当に素敵な女性でした。
お庭にコンサート会場を作ってくれていました。
会場にはたくさんの方!
暗くなることを想定してちゃんと灯りも準備されていました。
そして札幌に来た双子の兄弟たちとも再会の記念撮影。
シリーさんが用意してくださったお食事の中でひときわ目を引いたのはこのお寿司でした。
お醤油もわさびもたっぷり。イスラエルではなかなかこんなお寿司は食べられないとか。
豪華なお寿司には本当にびっくりしました。私、演奏前にはほとんど食事を取らないのですが、この時は演奏後に皆で食事と言うセッティングでしたから、しっかり食べることができました。
こうして振り返ると2013年のイスラエルも神さまが用意してくれたものであったと痛感します。当時の日記からなぜここで?と思うようが出来事が満載です。よしえさんとのコンタクトがままならない時にはツアーで一緒になったボアさんの助け。コンサート会場のアブラミ家は宿泊していたホテルの近く。などなど書き出すときりがなくなるほどの入念な神の準備がいっぱいありました。
7月のイスラエルから帰国した私はそのままNPO法人設立に向かいましたが、これも数ヶ月で設立されると言う神さまの奇跡。8月16日にはついにNPOとしての働きができるようになってしまいました。イスラエル重視のNPOが札幌市に認められる!こんなことは神さまなしではできません。
この不思議を背負ってまだまだイスラエル琴巡業は続きます。
続きは2014年の琴巡業の旅で。いよいよ琴巡業だけのためにイスラエルへ向かう私です。
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