いよいよイスラエルへ。2008年は「祈りの祭典」で琴。
2008年は1月に「文化の贖い」7月「祈りの祭典in北海道」と続きました。
そして、いよいよ10月はイスラエルの「祈りの祭典」へ。誘ってくださったO師が大阪の方だったので、出発は大阪から。出発に合わせて札幌から大阪へ琴を送る手配などを行いましたが、これは先のカンボジアでの演奏ですでにやり方を学んでいたため、スムーズに手配できたのでした。(さすが神さま!)演奏する曲も何とかイスラエルの曲を完成。琴の楽譜などはなかったのでCDで曲を聴いて楽譜起こしし、一人で演奏できるように作ったのでした。今思い返すとこんな風に楽譜を作るなどあり得ないことでした。楽譜を作ることなど習ったこともなく、しかも五線譜もなく、ただ耳だけで作った曲「ハティクバ」このハティクバがイスラエル国家であることも知らずに。。怖いもの知らずなのか、無鉄砲なのか。信仰がある?いやいやそれはどうなのか?今となってはあまり思い出せませんが、がむしゃらでなかったことだけは確かで、全ての責任を神さまにかぶせた私でした。でも、神さまが一番私という人間をご存知でしたからそんなことは百も承知だったのでしょう。これから続くイスラエルと琴の旅はこんな風に全て神様主導で始まったのでした。
10月1日、大阪へ移動。O師の教会の方が空港まで琴を持ってきてくださり、無事飛行機に乗せてイスラエルへ。ちなみにこの時はウズベキスタン航空でしたから当然経由はウズベキスタン。スタン国経由というのもすごかったなと思い出します。さほど大きくない空港でなんだかどこから飛行機が出発するのかもわからない空港。兵士が見張っている空港。きっと一人では行かない国。10月2日からはイスラエルで「祈りの祭典」集会参加、観光、祈りの塔での祈り参加という3本立ての超ハードなツアーでした。ツアーは16人参加。全員が浴衣に着替えての集会参加です。この中で一人で琴を演奏するのでした。演奏した「ハティクバ」では集会参加者が突然、総立ち。スタンディングオーべンションか?と思いましたが、実はハティクバは国家。国家は敬意を持って立ち上がるのです。知らないって怖いことです(笑
10月2日から8日までハードな観光もこなし、イエスさまの痕跡を見た初めてのイスラエルは無事に終わりました。でも、今から10年以上も前のこのイスラエルでは空港のセキュリティチェックも厳しく、帰りの空港では琴を入れた段ボールを開くように言われ、危うく段ボールに貼ってあったガムテープを切られそうになりましたが、下手な英語で乗り切り、持ち帰ることができました。怖いもの知らずのイスラエル。緊張感いっぱいのイスラエル。神様が用意してくださった助け手たちとの楽しいイスラエル。お土産はスーパーでのハロバ大量買い。スーパーの店員さんに日本人はハロバが好きなのか?と尋ねられるほどのメンバーの大量買いでした。
日本に戻ってくるのも全て神の守りの中。大阪で夜中のスーパー銭湯でO師の背中流したことも楽しかった思い出です。また、このツアーに札幌から一緒に参加された西森牧師とはまるで旧知の仲のように接していただき、イスラエルでは琴を持たせたり、本当にお世話になりました。西森師は札幌でも「祈りの塔」を始めるなど精力的に神の働きをされましたが、この数年後に天に凱旋されました。
始まったイスラエルと琴の旅。まだまだ神様の快進撃はこれからです。人の思いだけでは決して続けていくことはできない「イスラエルで琴を弾き、イスラエルの民に慰めの音色を届ける」と言う働きが始まってしまったのでした。
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