準備は続くけれどいよいよイスラエルです。

 2007年10月の「祈りの祭典in北海道」での仕事が終わり、O師から「一緒にイスラエルへ行きましょう」と誘われていよいよ10月のイスラエル行きへの準備を始める私です。

でも、その前に。。1月に「文化の贖い」という集まりに昨年何かのSNSで知り合った今は友人であるH姉妹に誘われました。日本の文化は本当の神様ではなく偶像に捧げられている。この事を悔い改めて真の神に捧げるというグループ。H姉妹は日舞を捧げるという。私は?琴を捧げる!実は琴(=箏)という楽器は中国から渡ってきて日本ではお姫様の弾く楽器であったかのようですが、神道でも弾かれ続けています。また形は龍の形であるので琴を弾くものは龍使いと言われたり。。これは真の神様に悔い改めて捧げ直す必要がある。そう思って参加したのでした。



写真にもあるように書道も日本文化の1つです。道と付くものは例えば柔道や空手などのスポーツもそうですね。考えると神道に結びつくものがいろいろあります。この時は書道の方が描き終えるまで一緒に琴で賛美しました。

この出会いも本当に不思議な出会いでした。いろいろな思いがありますが、今回は省略しますね。でも、H姉妹とは一緒にイスラエルへ行くことにもなり、神さまは本当に抜かりがないかたです(笑
2008年はどんどん過ぎ、この年は7月に2回目の「祈りの祭典in北海道」が開かれました。10月のイスラエル行きが実現するための前段階でした。
この年もオープニングで琴と和太鼓で主を賛美。チーム名にSACURAとつけて演奏者も6人になったのでした。



この時点でイスラエルで何を演奏するか?決まっていたかどうか、記憶にはないのですが、この集会にイスラエル人バイオリニストのモーリス・スクラー氏が出演されて演奏した曲に「黄金のエルサレム」と「ハティクバ」がありました。これがとても心に染みて何とか琴で弾けるようにしたいと楽譜作りを始めました。当時はこの2曲の違いもよくわからず、何とか琴の楽譜にできたのは「ハティクバ」でした。耳だけで作った琴の「ハティクバ」。これをイスラエル人の前で弾こうというのですから本当にいい度胸してるなあと思うのですが、以来、この曲はイスラエルで何度も演奏することになるのでした。
O師からは「何人で琴を弾くのか?」と聞かれましたが、声をかけても一緒にイスラエルで琴を弾くと言ってくれる人は見つかりませんでした。。
結局、10月にイスラエルには私一人だけで行きます。とO師にお返事。彼女はきっとがっかりしたかもしれませんが主が準備してイスラエルで琴を弾く者とされたのが私だけだったのは本当に驚きでした。



「こんな者でいいのでしょうか?」と言う思いを持ちながらもでも、イスラエルで琴を弾くことに期待感たっぷりの私はO師主催の祈りの祭典ツアーの一員として出かけることになったのでした。このツアーは今も忘れない素晴らしい人たちとの出会いも待っていました。






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