準備?カンボジアへ

大阪で突然、「イスラエルでお琴弾いてくれる人はいないか?」と言われたものの、だからと言ってすぐにどこでもドアのようにイスラエルに行くわけはなく、しかも神さまは入念に準備されると言うか私がその働きに相応しいと言うのか言葉が出てきませんが、きっと逃げ出さないように準備されたのかもしれません。ですから、2006年の大阪祈りの祭典後は2007年10月の札幌での北海道の祈りの祭典を行う事務局の仕事が待っていました。 でも、その前にカンボジア。これも突然のような出来事。所属していた教会ではよくアウトリーチと称して主にアジアにチームで出かけていました。私は?無理。。お腹が弱いので危なさそうな場所には行かない。行ってみないか?と言われても断ってきたのにこのカンボジアにはなぜか行く気持ちになったのでした。どうして行く気になったのかは今でもわかりません。でも多分、海外へ琴を持って行くこと。そこでちゃんとお琴を弾くことができること。など日本以外で琴を弾く準備を神が整えてくださったように思います。

カンボジアはポルポト政権による虐殺があった国。その名残りは記念館として残されていました。あまりに酷い残酷な拷問刑の場所を見学し、「なぜ?」「私たちは生きる価値のある者ですか?」と絶望し、祈ったのでした。これにも神は応えられて素晴らしい花畑の中に馬に乗って来られ、「愛している」と語られました。私はすっかり安心して琴の演奏に臨むことができました。でこぼこ道を約5時間かけてタケオという場所にある小学校で子供達に琴の演奏やフラダンス、手話の歌を披露したり、次の日には街中に戻ってセンター平和という孤児院でもたくさん演奏しました。ここでは子供達が琴を弾いたり後片付けを手伝ってくれたりとってもフレキシブルな良い時を過ごしました。ポルポトの虐殺によってカンボジアにはお年寄りが少なく、若い人や子供達が多かったのでした。

どんな場所でも琴は弾けるし、助けがあると教えられ、イエスの愛の中で生かされていることを知ったカンボジアでした。

そしていよいよイスラエルに繋がって行く北海道祈りの祭典は10月に迫ってきました。







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