大阪での出会い

 せっかくブログで「どうしてイスラエルで琴を弾くことになったのか」を書くつもりになったのにまた筆が進まないの良くないですよね。

前回は2006年春に大阪へ行くことになったことで終わりました。2000年から琴の演奏で神様の仕事を始めて本当にただただ付いて行きます的にがむしゃらとも言えませんが次々と働き、少々疲れ始めていた頃に多分、神様から少し方向転換させられたのか?それとも本筋に向かわせてくださり始めたのか?というのがこの大阪行きでした。当時すでに教会事務スタッフとして働き始めていて琴の活動は少なくなり始めていたころ、大阪での「祈りの祭典」なる集会に参加することになりました。教会の若き有志たち、特に洗礼を受けたばかりの燃える人たちが行くと言う。どうして?私も行った方がいいのではないか?突然のようにこの集会に参加しようと思い立ちました。牧師も行くと言いだして教会からは6名で大阪へ。「祈り」と言うタイトルから何か祈りについて学ぶことができるのだろうか?と思っていた私にこの集会が実は「日本よ、出て来なさい」と多くのアジアの人や海外からのゲストたちが来て、イスラエルの救いを祈るものでした。イスラエルからみて東に位置する日本は目を覚まして出ていく時であるとゲストたちが日本を鼓舞した集会であるとこの時は受け取りました。特に主催者の事務局長を務めるO牧師は随分とラブコールを受けていたようです。私はと言うとなぜ、イスラエルなのかもわからず驚くことばかり。最後まで何が何かわからないような状態でしたが、感動した北海道の牧師たちが札幌でこの「祈りの祭典」を開催しようと意気込んだことを思い出します。特にゲストで来日していたマタイ・クルビラ師のメッセージに共感し、彼を札幌に招くことを決めて私の所属する教会が事務局となることが決まってしまったのでした。

そんな中、集会が終わって少し時間のあった私は一緒に行動していた教会の姉妹と大阪城へ。「天守閣から大阪は神様のものです」と叫ぼうと言い合い、向かったのでした。大声で叫ぶことはしなかったものの天守閣での役目を終え、少し大阪城内を歩くことにした私たちは大きな角笛(イスラエルではショーファーと言います)を吹く女性を見たのでした。こんなことをするのはきっと同じ集会に参加していた人に違いないとそばに寄って行き、話しかけました。やはり集会参加者で筋金入りのイスラエルの執り成し者でした。話をしながら一緒に庭内を歩き、彼女の連れである牧師と牧師夫人、ご主人と合流。この時の写真が前回アップしたものです。彼らとは今でもイスラエルを通して繋がっている神の家族です。

驚いた言葉がこの女性から発せられました。「誰かイスラエルで琴を弾く人はいないか?」突然のように言われて「??」となっている私に姉妹は「姉さんのことですよ」と言い、すぐに「彼女は琴奏者です」と紹介しました。まるで預言めいたこの言葉。すぐさま女性が私の足元に跪いて祈りました。

でもこれは始まったばかり。私は自分がイスラエルへ行き、しかもその地で琴を弾くなど考えられもせず、もちろん召しであるとも思えず、ただ神さまがそれを望んでおらるならとだけ思ったように覚えています。私たちはそこで情報交換だけして別れました。今度会うのがイスラエルでなどとは思いもせずに。

そうそうこの集会ですっかり燃え上がってしまった牧師たちが札幌に戻っていよいよこのイスラエルのために祈る集会「祈りの祭典」は札幌で始まります。でも、まだまだ私とイスラエルへの繋がりは見えません。

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