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2016年 10月のイスラエル前に挿入されたサハリン

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 イスラエルの停戦5月21日に決まった。今のところ、平和に見えている今日、サハリンでの出来事を書いています。 2月のイスラエルはまさに聖書勉強ツアーでしたが、ほんのいっ時とはいえ、ホテルで琴を弾くことができて満足なイスラエルでした。何と言っても友人がホテルまで琴を運んできてくれて会えたことが本当に嬉しかった。 彼女はこんな風にずーっとイスラエルにいてくれる、そう思っていた私でした。その彼女が日本に帰ってきてしまう…。この話をいつ聞いたのだったろうか?日記を読みかえせばわかるかと思いますが、その前にサハリン行きが割り込んできました。 割り込んでというのはちょっとな言い方ですね。本当は神様からの重要なプレゼントだったと思います。2月のイスラエル旅行がすでに決まっていた1月に石田先生から「サハリンに行きませんか?」とお誘いがありました。先生は私の心をくすぐるように、「サハリンにはメシアニックジューがいます。ユダヤ人も住んでいるのですよ」と言われ、それで私の心は決まってしまいました。神さまがユダヤ人の癒しのために琴を弾くようにとおっしゃっているのを断るわけにはいかないのでした。 でも、2月のイスラエルツアーはとてもお高いツアーで夫にこれ以上は甘えられないというのが本音でした。それで考え付いたのがクラウドファンディング。当時はあまりまだ流行っていなかった?このシステムになぜか導かれるようにあれよあれよと話が進みました。クラウドファンディングの担当者と会って立ち上げる方法を教えてもらいあっという間にネットに載せることができました。これはまるでNPO法人を立ち上げた時を同じです。何か陰の力が働いている(笑 としか思えません。 神さまのご意志ならば神は力を貸してくださるということはもう体験的に知っているので全てを委ね、任せました。 いろいろな知り合いやFacebookで知り合っただけの方までが寄付してくださいました。目標金額にはあと一歩届かなかったものの声をかけてくださった石田先生からの応援もあって全て満たされてしまいました。 そして7月16日、いよいよサハリンへ。 サハリンはビザが必要なんです。初めてにビザ。ロシアが出してくれるか?琴を飛行機に乗せられるのか?などちょっとした心配事はあったものの、日程通り、メンバーも与えられて空港に集まりました。 心配していた琴が飛行機に乗せられ

2016年イスラエル① まずは2月から。

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 2015年のイスラエルがシャブオットの時だったにも関わらず、結局琴を弾くことができずに帰国して、このイスラエルが本当に神さまからイスラエルに来なさいと言われたものだったのかモヤモヤ感があるままに国内での被災地訪問と時計台コンサートという大きな事業を行って、多少、イスラエルへの思いが薄れたかのように2015年を終えたのでした。 でも、2016年に入るやいなやイスラエルで琴を弾く!という思いは薄れるどころか、ますます燃えているかのように物事が進み始め、1月には「サハリンにはロシア系ユダヤ人がいます。そこで琴を弾きましょう」とI牧師から声をかけられている中、2月にはハーベスタイムの聖地旅行に参加を決めて行くことに決定。実はこの時にはいつも働きを応援してくれていた元の職場ベネッセコーポレーションOBOG会が終了するとのことでその総決算的な集まりが東京で行われて琴を引っさげて一路東京へ向かったのでした。東京ではイスラエルに心を寄せる仲間たちとも再会。 この年もバタバタと前進して行ったのが思い出されます。でも何と言ってもこの年のメインは10月のイスラエル滞在です。今回のブログではここに焦点を合わせるつもりですが、それぞれに感慨深いものがあるので、2月のイスラエル、8月のサハリン、そして10月のイスラエルと書き進めていきます。 で、今日(5月15日)はここまで。今、イスラエルでは本当に大変な紛争が起きていて祈りが必要なとき。また札幌市ではいよいよ明日からまたコロナ緊急事態宣言です。 ゆっくりと今回もブログを書き進めて行くつもりです。 5月18日になってもなかなかイスラエルの紛争は収まりません。。今回は今までとはちょっと違うのではないか?そんな気もしてきました。 こんな中ですが、2016年2月のツアーを写真で見ていきます。 中川先生のツアーは聖地旅行とも違うし、何かのミステリーツアーとも違う。。しっかりと聖書の学びをしながらの旅行。自由行動が全くないとは言えないけれど、ほとんどなかったか?という感じの中、どこかで琴弾かせて欲しいなぁと思っていました。ツアーをサポートしている?兄弟には旅行中いろいろとわがままを言い続けました。でも、中川先生はツアーに負担をかけないようにと言いつつ、ホテルで演奏することを許してくれました。 と言うことで、シャバット の日、ホテルに よしえさんが琴を持

2015年はシャブオット

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 前回の2014年が過ぎ越しの祭りでずいぶんと恵まれた年だったのでなんだか2015年の思い出を書く気持ちが少しだけ遠のいてしまいました。 で、今日(4月28日)は写真探しから。。と思っていたのにパソコンにはほとんど写真は残っていなくてハードディスクから探そうと思っていたのに、、しまっちゃった〜〜 またまたブログ描き進めなくなりました。。 5月3日。ようやく2015年のイスラエル行きについて書こうという気持ちになり、当時の日記を読み返しました。 この年は5月19日〜5月27日まで8日間の旅だったようで、ペンテコステ、シャブオット(5殉節の祭り)に焦点を合わせた荒野の遠征隊に参加していたのでした。これは韓国のキム監督が率いる旅でこの年は日本人はMさんと私の2人だけの参加。キム監督のツアーは観光というよりは聖書に沿っていろいろな場所を巡り歩き、早めにホテルに戻って賛美、祈りの時を持つというものでしたが、当時、私はディスペンセーションを学び始めていてペンテコステ派のどちらかというと感情的な感覚を大事にすることから離れ始めていた時でその中での集会は気持ちが入らなかったようです。 そして、イスラエルへの想いは高まっているものの琴の演奏をすることができなかった年。 頼りにしていた友人が結構大きな風邪をひき(いつもの元気印が。。。)彼女と会うこともできず、ユダヤ人タマルさん(日本人だけれどユダヤ人と結婚してイスラエルでガイドをしている方)が準備してくださったレストランでの演奏もキャンセルしてしまったというなんとも不甲斐ない年でした。 そのせいか、今でもこの年のイスラエルの思い出がスルーしてしまいます。写真はきっとたくさん撮ったのでしょうが、今日もハードディスクを開く余裕がなく、ブログにアップできず。。下書きで終わってしまいました。 明日には写真を取り込んでこの2015年を終えたい私です。 実のところ、この年はNPOとして初のコンサートも開いていた年でそのためか、イスラエルに対しての実行力が今一つで日記には神様に申し訳ない。などと書いている私でした。 でも、この後、2016年〜2019年までは自分でも驚くほど精力的にイスラエルと被災地訪問などをしていってます。これは神様の助けなしにはできない。昨年末にNPOの活動をやめて日々怠惰?な生活をしている私にとってはびっくりな行動力です。 よ