2011年のイスラエル。まず3月!
結局、2010年はイスラエルへ行けませんでした。でも、BFPのボランティアになってイスラエルで神の民に仕えたいという新たなイスラエルへの想いは消えることがなく、アプリケーション作成や試験を続け、2010年が過ぎて行こうとしていました。
悶々としている私に夫はテレビでイスラエルの番組があるのを知ると「イスラエルのことをやっているよ」と教えてくれました。BSテレビでやっていた「聖地のこどもを支える会」のイスラエルの放送。イスラエルに行けない私はなぜかすがるような思いですぐにこの会のホームページを探し出し、メールしました。するとすぐに返事が。「一緒に行きましょう!」このお返事には本当にびっくりしました。ツアー参加の締め切りがすぐそこに迫っていました。で、即決断。「イスラエル・パレスチナスタディーツアー(平和を願う対話の旅」というツアーに参加してイスラエルへ行くことになりました。スタディーというくらいですから事前研修などもありましたが、メインは若者たち。若者たちはイスラエルとパレスチナの人たちの家に宿泊し、体験学習しますが、私はアダルト8名の募集の中に入っての参加でホテルへ宿泊し、でも、様々なパレスチナの現状を見る事が出来ました。カトリックの方の主催するツアーだったのでパレスチナの窮状を目の当たりにする事が出来たのです。今考えても神のご用意というか準備はすごいですね。この年の11月からイスラエルでボランティアさせる者にちゃんと勉強、体験させてくださる。すごい方です。
驚きだったのはツアーの内容もそうですが、出発。なんと出発の1週間前にあの未曾有の大地震「東日本大震災」が起きたのです。この時はイスラエル行き準備をしている時でしたが、札幌の自宅で不思議な揺れを感じていました。札幌ではさほど大きな揺れはなかったもののなかなか揺れが収まらず、ゆらゆらしていたように思います。テレビをつけると信じられない光景が広がりました。前代未聞の出来事に恐怖を覚えながらも気持ちはイスラエルに行けるのだろうか?ということでした。
でも、1週間後、私たちは成田からフランス経由でイスラエルへ向かったのでした。成田は薄暗く、しかもエアーフランスのカウンター前は長蛇の列。フランス政府がいち早く、自国民に帰国するようにとの命令?を出したのでした。(何と言っても原発の国フランス。福島原発被害を恐れてのことだったかと思います)エルサレムやベツレヘムなどカトリックの定宿と言える素敵なホテルで滞在しながら、パレスチナ自治区や分離の壁などを見たり、 イスラエルとパレスチナの関係について学ぶツアーでした。報道と現実。イスラエル側とパレスチナ側の双方の事実。若者たちの思いなどなど知らない事がたくさんありました。
そしてツアー最中についに大きな出会いがあったのでした。
コメント
コメントを投稿